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稀勢の里が今場所休場 過去には2014年にも [スポーツ]

大相撲の横綱「稀勢の里」が
左足首と腰のケガで九州場所を
途中休場することになりました


稀勢の里のけがは
長引いていると言われ、
過去の場所も途中休場が
続いていました。


9.jpg
http://mainichi.jp/articles/20160725/
k00/00m/050/0...より引用


しかし2017年こそ連続しての
休場となっていますが、
過去を見れば2014年の1月場所に
途中休場したのみで、
ずっと出場し続けています。

今回は、やはり春場所で負った
怪我が尾を引いており、
それをかばうことで他の怪我も
治りが遅くなっているのではないでしょうか。






◆けがに悩まされている稀勢の里

2017年の3月春場所で優勝しましたが
左胸を怪我し、その次の夏場所を
途中休場していました。


さらに名古屋場所でも
左足首のけがで途中休場を
余儀なくされ、秋場所も休場。



そんな中で今場所も迎え、
初日から出場出来ていましたが、
なかなか自分の相撲がとれず五敗。

医師の診察を受けて休場が決定しました。
左足首と腰の怪我が原因とされ、
一か月間の治療が必要との診察結果でした。

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師匠の田子ノ浦親方は
「怪我が十分に治っていない。
力が入っていない。休場せざるをえなかった。
休場自体は本人が決めた。」と話しています。



稀勢の里は4場所連続の休場となります。
これで今場所の横綱は白鵬一人だけとなり、
幕内全体では7人が休場する事態となっています




休場することになった
稀勢の里について元小結の舞の海氏は
今場所8日目の稀勢の里の取り組みの後、
「力が入らない。場所前の稽古を見て思ったが
仕上がっていない。いろいろなものがずれてきている」
と語っています。




◆幼少期

曾祖父は彫刻家、祖父は画家
父はボクシング経験者のIT事業者という
すごい家系に育ちました。


生まれた際は3600グラムと
普通よりやや重い程度の赤ちゃんでしたが、
食欲がすごく、もらい乳までしていたと言います。


スナック菓子やジュースの類は一切与えられず、
お母さんの手料理のみで育ったとのこと。

これはご両親の「丈夫に育つように」
という育成方針があったため。




小学生時代から相撲を始めており、
低学年の時に上級生5人をうちやぶり
いきなり優勝しています。


この時の優勝経験が
相撲を始める大きなきっかけになったとか。

また小学生のころから野球もやっていて、
強豪校からお声がかかるほどの腕前でした。

本人が「野球はうまくない」
と断ったそうですが、
もし野球の道に行っていたら、
相撲と同じぐらいの
大活躍だったかもしれませんね。





中学二年の時に転機が訪れます。
鳴戸部屋を訪ねた際に、親方から
「将来は大関か横綱だ」と太鼓判を押され、
入門を強く進められます。


この時はまだ進路については
固まっていなかったのか、
両親や中学の先生たちは難色を
示したそうです。



しかし親方の熱心な
説得によりついに入門。

中学3年の2月上旬に
最後の登校を終え、
力士としての人生に突入したのです。



スポーツにおける色々な才能が
垣間見えていた少年時代の稀勢の里ですが、
鳴戸親方との出会いが人生を
決定づけたのですね。

その後は本当に横綱まで
登りつめるのですから
鳴戸親方の目は正しかった
ということになります。




ケガが続き途中休場の稀勢の里ですが、
しっかりとケガを治して、
また活躍してほしいですね。


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